男と女の間の人
今、時代が求めている人は、男と女、女と男の中間にいる人だとつくづく思う。
時代というか、これからの未来において、だ。
それぞれが担う役割は、生殖活動の一部分においてのみ両極端であれば良い。
感覚や感性や頭脳や心は、お互い寄り添い合う柔らかな、それでいて冒険的な、それでいて持続的、だけれども勇敢な、どちらへも自然と流れられる人が、増えていく(増えていくということはつまり、必要であるということ)のではないか。
もちろん一部、残っていくと思うけれども、ちょっと時代遅れの人になるんじゃないかな。とても女性的であったり、とても男性的であるということは。
でも時代遅れのレトロな感じとか、バブリーな感じも流行ったりするから、それを一つのコンセプトとして売り出す人がいてもいいと思う(平野ノラみたいな)
昭和のおっかさんとか、昭和の頑固親父、みたいな人は組織の中ではどちらかというと時代遅れになっていく気がする。
少女や少年のように、お互いの可憐さとお互いの冒険心に惹かれ合うような若くてどちらにもなりきれないみずみずしい感性が今からの未来では生きてくるのではないだろうか。
そんな気持ちで私も、毎日を生きている。
ワクワク、とほほえみを絶やさずに、赤ちゃんみたいな気持ちで世界と向き合う。全ては考え方と捉え方次第と言うならば、その捉え方が若くてイマジネーションに溢れている方が、絶対に人生は面白い。と思うのだ。
イマジネーションというのは、とても大事だ。
どんな瞬間にもイマジネーションは生まれてくる。その目の前のコーヒーを手にとってみて。何を感じる?
「冷たい」から広がる世界
「苦い」から広がる世界
「コーヒーと自分」から広がる世界や記憶
「マグカップの重み」から生まれるアイディア
そこにワクワクする何かを見つけられたら一瞬一瞬がワクワクの連続になっていく。そうやって頭を動かし続ければ、さらには自分自身がどんどん先へ行ける
どんどん先へ行くというのは、脳を発達させて行けるということだ。
自分の脳がどこへ行くのかなんて決めなくていい。
毎日考え続けて、毎日答えやアイディアを出し続ければいい。
その時その時考えが変わるなんていうのは当たり前。
脳は成長しているのだから。
目標を決めるというのは限界を決めるということだ。
発想力があればその目標なんかは、明日にでも実現できてしまうかもしれないし、明日また考えてみたら、その目標を達成したところで、何も変わらないと気づくかもしれない。今この瞬間のこうなりたい自分の連続でいいのでないかしら。
その目標に縛られてしまうのは勿体無い。
いつでもやめられる、いつでもできる、その自由さの中で全力で考え続けること。
男と女。そのどちらにも、私はなりたい。
自由であり、厳しく優しくありたい。
変化
変化には痛みが伴うものだ。昔そう教えてもらった。成長痛のように、実質的な痛みもだし、心が成長したり、環境が変わる時にも、痛み(心の痛みは、悲しみや苦しみやしんどいという想いとしても現れる)が伴うものだ、と。
今まさに、変化の時だ。会社を辞めて、自由に働く魅力的なチームに参加するか、会社を辞めて、世界を見に行くか、その二択で迷っている。
前者を選べば、好きな人と、それなりの安心感の中、アイディアや、今までの経験を生かす環境で働くことになると思う。ただ、チームはまだ未熟で、学ぶことも多いが、自分の意志の強さが不十分な中働くには、時間の使い道として有効でない気もしてしまう。
後者を選べば、身の危険や言語の壁、金銭的な不安の中の旅になると思うが、影響を受けやすい私にとって、文化の違う世界に身を置くことは、いい意味で変化をもたらすと思っている。自分の根っこの良心さえ失わなければ、どんな過激な変化の中でも道を間違うことはなさそうだ。
この変化には、失恋の心の痛みが伴っている。エネルギーの発信源で、それを導いてくれた人が前者のチームにいる。感謝。ただその人に対して中途半端な気持ちでチームに参加することはしたくない。
年齢がある。若いうちに、結婚する前に、自由に世界を飛び回る経験をしておこう。
後者を選ぼう。
英語を学び、カナダに行こう。
自然の中で暮らし、すてきなレストランで働こう。気が向いたらそのほかの国にも飛んでみよう。プロモーターなわりに、1つの物事はゆっくり味わいたいタイプなのだ。世界一周よりも、1つの国をまずじっくり味わってみよう。それを足がかりにして、より身軽に生きていこう。
小さな意志だが、今、この意志をつかまなければ、ならない気がするのだ。
痛みが伴おうとも前に進もう。
痛みさえも笑い飛ばして、駆け出そう。
かきぞめ
かきぞめ。
新しいことを始めるときのワクワク。
だいすきな人を抱きしめるときのときめき。
たっぷり眠って目覚めたときの安らかな安心感。
柔らかいひざしを浴びてそよ風が吹いたときのここちよさ。
人が人を想う気持ちにふれたときの感動。
自分の中にある宝物みたいな気持ちたち。
一生、探検、未知なる世界へ。