考えることを諦めず、それでも流されること
昨日の18:00に飛ぶはずだった飛行機は、機体の整備で、2時間半乗客を待たせたのち、欠航になった。
そこからの航空会社の迅速で丁寧な対応は、経験からくるものとはいえ、同じサービス業に携わっていたものから見ると素晴らしいものだった。
そして、東京タワーの見えるリッチなホテルで寝心地のよいベッドで熟睡し、朝は美味しいブッフェで朝食。
気を取り直して今日の17:30に出発だ。
海外は過去にアジアに2回、それも友達が大体準備してくれていた。飛行機のハプニングも特になかった。
今回は1年のカナダへのワーホリ。
準備に準備を重ね、乗り継ぎの動線なども詳細に調べ、前日の夜は寝られなかったほどなのに。
いざ、飛ぶ時になって、飛ばない。
大きなハプニングの前では流されるしかないのね。
結局のところ、不安だったシカゴ空港での乗り継ぎもしなくて良くなり、質の良いホテルでゆっくりでき、いいこと尽くしだったのよ。
この経験に意味があるとするならば、流れの中で情報を取りに行き、能動的に考えるということは大事だけれど、押し流されたら抗わず、流されろ、ということね。
わたしに守るべき大義はないもの。
考える葦なのよ。
台風が来て大波が来たら流されて、もしまた地に足をつけられるのなら、そこで根を張り考えましょ。